暑さの頃のもくもくした真っ白な雲から、空の青を透かし薄くたなびく雲が多くなり、秋風にススキの穂が揺れると、“少しの事で揺れてしまう人の心のようだな”と思っている内にあちこちから“雪の便り”も聞こえてきて一年も終わりになってきました。
越冬するミツバチを連れ北国の蜂屋さん達は続々と房総にやって来ました。
ヤッホー!自然消滅しそうだったこのブログとも言えないブログ、夏を過ぎ秋を過ぎやっと復活!何だか忙しくとっても忙しく兎に角忙しかった一年間。心を亡くすと書いて“忙”、私の心も余裕なくうつろだったかもしれません。
毎日毎日山仕事に追われ頑張っているのにやり残した仕事がたまってしまい、そんな悪循環の日々でしたが、被災され、お仕事のない人の事を考えれば有り難い事とがんばっていました。
今年は3.11の大震災からその後も自然災害が多く、特に水の被害が日本だけでなく世界中であるように感じ、被害に遭われた方々は本当にお気の毒です。生命の源でありそれがなければ生きていけない水ですが時に怖ろしい姿となります。
何か自然の巡りの悪い年で、ウチのミツバチ達も梅雨明け後の悪天候と低温で調子が狂ってきました。温暖化の影響か雨の多いのは蜂屋さんにとっては困りものです。
あまり良くない年に現れる、私が“不吉虫”と呼んでいる平べったくお尻の先が二つに分れている黒くて、5ミリ位から大きくても2センチ位の虫が巣箱の入り口にウロチョロし湿気を好むようで梅雨時期から見かけ、ちょっと嫌な予感が……..。
長く自然や生き物を相手にしていると、毎年“絶好調”といかない事はわかっていますが、今年は全国的に蜂は“絶不調”な感じです。
秋にはスズメバチを少し細見にしたようなキイロスズメバチがとても多くて捕獲する粘着シートにこんなにくっつきグロテスクな有り様でした。
絶不調の原因はダニ。“ミツバチヘキイタダニ”という2ミリ位で肉眼でもわかる赤っぽくミツバチに寄生し体液を吸い、段々巣箱の中の蜂が減少し全滅させてしまう厄介者で、そしてとてもしつこい。当方の蜂も何割かはやられてしまい夏から秋にかけ何か月もずっとダニとのバトルを繰り返し、一本勝負どころか落ちたかと思うとまた発生し、三本勝負・四本勝負とえらい事になっていました。早めに対策したつもりが今年のダニは超手強かった。
昨年は猛暑でしたがウチの蜂達は“絶好調”のまま冬に突入する事ができました、今年のような不調の弱い群のままでは冬場を乗り切れませんので、やっと何とか“やや好調”位に戻ってきてくれてヤレヤレです。お天気良く温度が上がってくると、今はビワのお花に飛んでいっています。これで元気に冬を越してくれるでしょう。アー本当に大変だった!
そんなバトルを繰り返している内についに私はダウン!
ハニーハンターはとても楽しいような仕事に思われるかもしれませんが、実際は男性にもきつい重労働でして、体育会系女子の私はアスリート感覚で仕事をこなしています。
手伝い人の来ない週末はおにぎりとバナナを持って山にこもり、テニスプレイヤーのようにバナナでエネルギー補給しながら作業しています。気分はシャラポワ!(めちゃめちゃガチョーン!)
そして週に一度整体師さんに体を修理(?)してもらって頑張っていますが、「れいこさんの体は全部わかっている、目を瞑っていても指が動くよ」と、そこだけ聞くと際どい発言をするのは長年お世話になっている整体師のS先生(いつも奥様とラブラブな)。
「コチコチの人ベスト3に入ってるよ」と、嬉しくないベスト3入りをしている私ですが、すっごく固まっちゃってるようで、その先生が「どうしちゃったの、この体」と言われた翌日の朝、起きましたがクラクラが激しく真っすぐ歩けない。あんな小さなダニにノックアウトされたのでした。
どうせダウンさせられるのならあんなダニなどではなく素敵な方にノックアウトされたかったものです………。打たれ続けられたボディーブローがきいてきて、ついにKO負け!という感じ。ハァ~ン!情けなし!
「もう引退すんだな」とか「若いイケメンいっぱい雇うんだな」とか、その先生に言われるけれど、どっちもできないのでまたシャカリキセブンひたすら頑張っています。
私のこと持ち前の旺盛な食欲で回復しましたが、今度は「何ておバカなんでしょう」と、毎日思っているこの私が十年ぶり位にカゼをひき、これが十年分位長引き、どうもミツバチ化している私の体はミチバチ達の体調を反映してしまうようです。シャキーンとしなくちゃ!
土曜日の朝シャキーンと元気にして下さるのは朝のNHKニュースの中の<元気中継>
もう十年以上前に当養蜂園からビシッとスンバラシク生中継して下さった入田直子(いりたなおこ)アナウンサーはその頃と全然変わらずとてもお若く美しく元気ハツラツです。最近日本に増えている<美魔女>のお一人ですね。
先日は80歳代の方々の野球チームの中継で、元気の秘訣<蜂蜜レモン>を食べられているとのご紹介、私も学生で部活現役の頃スライスしたレモンにハチミツをたっぷりかけた<蜂蜜レモン>試合に持って行っていたので早速また食べなくちゃ。目指せ80代現役プレーヤー!
入田さんが来てくださった<元気中継>の春先の当養蜂場からの生中継が父の最後のテレビ出演となり、とってもいい感じでしたのでずっと感謝しています。
毎週土曜日の朝、<元気>をありがとうございます!
8月にアフリカに行きました。「アフリカ・アフリカと言っても、いささか広うござんす」とフーテンの寅さんなら言いそうな広~いアフリカのなかの西アフリカの<ガンビア>という元イギリス領の小さな国です。
「そうだアフリカ行こう!」と思ってしまったのはY子先生のアフリカの<ギニアビサウ>という国の学校建設の現場にY子先生が滞在中の8月に行こうと思ったからですが、そこはアフリカのこと10月に延びたとの事予定が狂いました。
「ギニアビサウに行きたいんだけど」とポルトガルのリスボンに住む友人マダムに電話したら、「私も行くから」と即言ってくれたので、すっごく安心していたら、マダムの周り中の人達に「何でそんな所に行くんだ、その友達を行かないよう説得しなさい」という事態になったそうで、想像以上に一般人が気軽に行ける所ではないらしい。し、マダムにも「ギニビサはダメだよ」と言われ、「じゃあアフリカならどこでもいいよ」とマダムに任せ<セネガル>と<ギニアビサウ>に隣接する<ガンビア>となりました。
アフリカに行くというのは大変なこってす。予防注射をいっぱいしなくてはいけません、マストで。館山市内の病院ではできなくて鴨川市にある大きなよくマスコミに登場するK病院に何回か通い<破傷風><A型肝炎>の予防接種をし、<マラリア>の飲み薬を「ホテルに着いたら飲み始め帰国後1ヶ月間毎日飲まなくてはいけません」と、お医者様に言われビックリ。「蚊に刺されないように長袖長ズボンにして下さい」とも、それはいつもの養蜂スタイル。夏休みで鴨川シーワールドへの観光客の車が渋滞する頃でした。
鴨川出身で96才まで波乱に満ちた人生であった女流俳人・鈴木真砂女さんの代表的な句、
<羅(うすもの)や 人(ひと)悲します恋をして>が浮かびました、真砂女さんのように艶っぽく年を重ねたいものです。(なーんちゃって!)
黄熱病の予防接種はさらに大変で都心部の検疫施設のような所でしかできなく、しかもどこも予約でいっぱいで横浜の施設で何とかやっていただきました。私が大変という事はマダムもこんな事してるんだと思いながら。(黄熱病接種証明書がないとアフリカ諸国には入国できません)
そんなこんなで8月17日出発の日を迎え、成田からフランクフトで乗り換えリスボンに着きました。ガンビアの領事館が日本にはないのでリスボンにあるビルの一室のそこでビザをもらい、それがまた、あちらが指定した約束の時間に領事館の人は全然誰もいなくて、待つ人がいっぱい溜まってずーっと待たされ、大丈夫かガンビア?と不安は拡がり……….。「ビザがもらえないといけないからお役人に文句は言うな」とマダムに言われ半日がかりでビザをゲット。
アフリカ行きの前、せっかく来たのだからとマダムが「スペインに行こう」とその場でインターネットで良さそうなホテルを予約し、たしか<トロフューリョ>という街まで車で行き、ヨーロッパは色んな国と地続きなのでパスポートを見せることもなく車で行けちゃいます。
「16世紀の世界だよ」とマダムが言うように本当に石畳に鎧を付けた騎士が馬に乗ってパカパカ現れそうな街で、古城ホテルのような素晴らしいホテルも1泊ではもったいないくらいの世界で、ずっと浸っていたいところでした。が、翌日他のスペインの美しい街並みをドライブし、なんと2日間で1400キロを走破しまたリスボンに戻りました。私は時差ボケで助手席でウトウトしていただけでしたが運転しっぱなしのマダムお疲れ!今度は国際免許とってくるからね。
「ボルドーに知り合いがいるので行けるかな?」と訊くと「途中で1泊したらいけるよ」との事で、ますます国際免許を取らなくちゃと思い、美味しいスパークリングワイン探しに行きたーい!です。(いつになるやら)
8月20日いよいよアフリカ行きの日を迎え、リスボンからスペインで乗り換え、ガンビアの首都“バンジュール”の空港に夜到着。日本人はあまり訪れない国ですが金曜日の夜便でしたので、スペインからのバカンス客とスペインに働きに出て帰国するガンビア人で飛行機は満席でした。
やっぱりアフリカはとっても遠いです。乗り換え時間も入れるとリスボンから1日近くかかります。
ヨーロッパの国々の超綺麗なモダンな空港とは違い、なんだか汚く混乱している後進国らしい空港で入国の書類を書き、それを見せた時にお役人がニヤッとし、私の職業欄“ビーキーパー”を見て「私も自分のファームで蜂を飼っている」と言うではありませんか、「ウーン、お友達ですね」と私が言うと、そこはお役人のこと今度は無表情でした。
迎えのガイドさん現地人ペペさんと運転手さんがホテルに送ってくれ、私達のガンビア滞在はスタート。ホテルのTVニュースはアフリカ・リビアの内戦の様子とカダフィーの映像の連続でした。
翌朝ホテルの朝食のバイキングスタイルのクレープを焼いてくれる所に“ローカルハニー”と地元のハチミツが置いてあり、食べてみたら結構美味しいハチミツでした。暑い国だからハチミツ採れるんですね。
ホテルに迎えに来たガイドさんとのガンビア巡りは、海などのバカンスツアーではなくカルチャーツアーにしてもらいました。ホテルを出発しアフリカ初めての私は車から見る歩いているガンビアの女性達のカラフルな衣装に驚き、それは黒い肌に映え頭に上手におしゃれに巻いている布も誰一人同じ姿の人はいなく”ファッショナブル“で、すごく興味惹かれ綺麗で写真を撮りまくっていました。
初日はエコツーリズムとか言ってマングローブが沢山生えている沼のような所をずーっとボート巡りをし気持ちよくいい景色でした、ガンビアの場合そこは海水だそうです。
「次はジャングルです」とガイドさんが言ってジャングルウォークしていましたが、何だか房総の山の中と草とか似ていてピーナッツ畑なども有り、今から仕事に行くような感じさえしましたが、さすがアフリカ、ガイドさんが足元を指し“イグアナ”と言い1メートル位のイグアナが静かにいて、その動きを見てタモリさんソックリ!?!と思ったのでした。
そして街中の市場にも行き、果物や野菜・魚・衣料品など地元の物が沢山で丁度訪れたのは雨期のせいか、緑豊かなガンビアは飢餓に苦しむアフリカの国とは違い食べ物はとても豊富です。特に車で走っているとそこら中にマンゴーの木に美味しそうな立派な実がたくさん実っていました。朝食にもマンゴーが沢山有りとても美味でした。
翌日の早朝にはスコールの雨がずっと降っていました。2日目は首都バンジュールの博物館のような所に行きガンビアがイギリスから独立した歴史や女性の教育や地位向上に努めた大統領の事や、昔々の部族のような頃の品々を見て、その印象よりもその廻りの建物中からイスラム教の歌なのか音楽なのか祈りの唱え声なのか、とにかく“イスラム教”どっぷりの街中の雰囲気でした。
私たちのガイドさんも運転手さんも丁度“ラマダン”(断食)の月でしたので私達を昼食場所に案内しますが、自分たちは食べずに待っているのです。
そして地元のある一家を訪問させて頂き日常生活を拝見。
文化的な生活とは言えない暮らしぶりですが子供達のはにかんだ綺麗な瞳がとても印象的でした。それは黒人特有の身体的特徴の目なのかもしれませんが、私には<スッピンな瞳>に感じられました。観光地化した国の何かを期待して寄って来る子供達とは違い、汚れなき見つめられるとドキッとしてしまうとても美しい瞳です。
日本には物が溢れマスカラたっぷりの同じようなお化粧で同じ顔に見えてしまう女性達が多く(ニュースに出てきた渋谷に出没するタヌキのよう)と言っては失礼ですが。
クルマで走行中も珍しい東洋人の私達に道端の現地の子供たちがとても人なつこくニッコニッコの笑顔で手を振ってくれたりします、可愛いですよ。これまたスッピンな瞳で。
スッピンといえばもちろんミツバチ達もスッピンです。いつも仕事をしていると蜂の背中側から上から蜂の姿をみているのですが、ある時蜂を正面からマジマジ見たらミツバチの顔というか目(昆虫だから複眼というのか)ってハート型なんじゃないと思い、「ミツバチの巣箱の中はハートでいっぱいなんだ、ちょっとステキな事」と嬉しくなりました。ミツバチの巣箱の中はスッピンな瞳のハートでいっぱいです。愛があふれてるハートフルな世界。そんなスッピンな純粋なミツバチ達の瞳に見つめられても恥ずかしくない仕事をしなくては!
自然の中で仕事をしていて感じるのは、自然て全ての物が繋がって成り立っているんだなと感じます。蜂がお花に飛んで行ってフワリと止まり、「お花さんありがとう」といってるようにも見え、お花もまた「蜂さんありがとう」といってるようにも見えます。蜂は受粉のお手伝いをし蜜や花粉をもらいお花は蜂によって素晴らしい実や種を結実させる事ができます。
それに比べて人間は自然の中でいったい何をしているんだろうか?地球に対して何かできているんだろうか?と思ってしまいますね。
ミツバチと私からの少しばかりの恩返しは本当に微力ですが<Bee’s Honey Heart>(ビーズハニーハート)という活動をしています。(詳しくはHPトップページに)
その活動の中でユニセフへの協力をしていますがユニセフからの通信が定期的に届き、その中に津波の被害甚大であった宮城県女川町の子供さんの句が載っていてご紹介します。
<夢だけは壊せなかった大震災>
アフリカに話は戻り、海にある市場にも連れて行ってもらいまして、そこの海辺の光景は圧巻でした。海岸に魚を入れる大きなバケツのようなたらいのような器を持った女性がひしめき合っていて、海には漁をする小型船が沢山浮かび、男性が漁をし女性がそれを受け取るそうで、女性達はあの鮮やかな巻きスカートのような衣装のままで海にどんどん入って行くのです。車走行中に田んぼで田植えをしている様子も見えましたが、やっぱり鮮やかな衣装のまま農作業していました。生活力溢れていますガンビアウーマン。
ガンビアでは行く先々で「日本人は初めて」と言われました。ガイドさんの話ではセネガルの帰りに1泊する位の日本人はいるらしいですが。
今時どんなエキゾチックな所に行っても、たいていマクドナルドとスターバックスコーヒーのお店がありますがガンビアでは見かけませんでした。
そんなこんなで、まだ貧しさの中ではあるけれど心の鏡である瞳の美しさに触れられた3泊4日のアフリカの旅でした。マダムの協力無しではとても行けるところではありませんでした、ビッグサンキュウ!ビッグ迷惑ごめんね!御礼に1曲歌います、ノーサンキュウ!ですよね。(めっちゃガチョーン!)
ガンビアからまたスペインで飛行機を乗り換え無事リスボンに戻りマダムの家にたどり着き、
ピアノ大好き人間のマダムがピアノ弾きたい欲求がたまっていたのか帰宅早々スンバラシイ演奏が聴こえてきて(たぶんショパン)ベットでウツラウツラしていた私はナントそのまま10時間洋服も着たまま死んだように眠り続けたのでした。この何十年そんなに眠り続けた事ありませんのでやっぱりガンビア行きはすごく緊張感を伴っていたんですね。
実は超セレブなマダムには衛生的にもその他色々きつい旅だったようで「もう二度と誘わないでね」と何度もプリプリ言ってました、「うん、わかった」とその度に私は答えましたが絶対また誘っちゃうからね!時々とんでもなく大暴走する私に付き合ってくれるのはあなただけ。
心優しいマダムは日本への帰国までの間もあちこち観光させてくれて恵まれた10日間の旅となり、リスボンからミュンヘン経由で成田に無事到着し、アフリカよりも蒸し暑い日本の生活に戻りました。
ウチの車庫に着くと、いつもウチの裏庭をウロウロしている“お魚くわえてないドラ猫”がサッと逃げ去り、ファルコンが大歓迎してくれて「ファルちゃんだけだよ、お利口さん」としばし“好き好きハグタイム”をしている間に、アフリカでは1匹も刺されなかった蚊に刺されまくり、まだ私の血もおいしいのかとなぐさめながら荷物を運んだのでした。
結局Y子先生は10月半ばから学校建設の下準備にギニビサに行かれ、パリからダカール経由で入るそうで、パリで求めて下さったと思われるそれはそれは美味しい“マカロン”をくださいました。ガンビアの写真を先生が見てとてもギニアビサウに似た感じとの事でした。
ミュンヘンで飛行機を待つ間ここでサッカーなでしこJAPANが世界一になったんだ!とあのテレビで観ていた早朝の感動の決勝戦がよみがえり、いつも働きながら頑張っている<“なでしこJAPANN”に栄光を!>と思っていたので素晴らしい金メダルに大感動!優勝の瞬間ウルッときちゃいました。ヨッ世界一!!!
最近ラジオ族になりつつある私が12月19日(月)NHK・FMラジオ<まるごと千葉60分>(夕方6時~7時生放送)にゲスト出演し生放送なのでドッキンドッキンでして、途中つっかえたり何言ってるかわからないうちに前半12分後半12分アッと言う間に終わりました。越冬ミツバチやびわハチミツや養蜂のお話をしました。
綺麗にピッカピッカな新装NHK千葉放送局に行けたのは今年締めくくりのラッキーか?
キャスターの峰田雅葉(みねだまさよ)さんお世話になりました。お世話して下さった可愛らしい伊藤アナウンサー大変ありがとうございました。
今は東京在住の御夫婦で父が若い頃からずっと当養蜂園がお世話になっている方から「いつも聴いていないのに偶然聴いたんです」と嬉しそうにお電話頂き、父が天国から「聴いてやってくれ」と言ってくれたのかなと思ってしまいました。
今年の日本を、ちょっと弱り目の私を癒してくれたのは“マルマルモリモリ”のお二人。私の大好きだった祖母が<ふく>という名前でしたので、まなちゃんとふくちゃんによけいにメロメロしてしまいます。
<ひふみの蜂蜜ナンバーワン>と言ってくれているような(勝手な思い込み)1231イチニーサンイチ明日を歌おう!の紅白歌合戦でのお二人の出番がとっても楽しみです。
一緒に言ってみたいな<ナイスッ!>
あまり蜂にとっては良くない一年でしたが来年はどうぞ“蜂の神様”良い年にしてください
言ってほしいな≪承知しました≫
世界中の悲しみが癒えていきますように、ついでに私にも幸せを……Bee Happy 2012